〔第1回〕人口停滞期におけるまちづくり~既存ストックを活用したまちづくり

平成28年度(株)まちづくり熊谷:情報発信事業

〔第1回〕

人口停滞期におけるまちづくり~既存ストックを活用したまちづくり

 帝京大学経済学部観光経営学科 大下 茂

 人口が伸び悩む時代を迎えています。現在、「地方創生」の御旗の下に、多くの自治体は、将来の人口ビジョンを見直した上で、地方創生総合戦略の検討が求められています。人口減少を留めるために「ひと」を育て、「しごと」を創り出し、結果として「まち」の活気を維持するという戦略です。さらに、人口減少によって低下が予想される地域活力を、観光やビジネス等の他地域からの来訪者による消費活動で補うという考えが加わり、「観光まちづくり」が脚光を浴びてきつつあります。

 地域の活気を維持する要諦は、一言でいうと「人の気を惹くまち」をつくること。「集客力の技と極意」を地域がもって、“しなやかに”、かつ“したたかに”まちづくりに取組みつづけることです。今回からの5回の投稿を通して、熊谷の地域活力を維持するための技と極意を考えてみたいと思います。

 

 (1)人口推移とまちづくりの特徴

 地方自治体は、地域を経営するために『総合計画(基本構想+基本計画)』を定め、計画的に行政として地域の経営に取り組んでいます。その基本となるものが将来人口の推計です。しかし多くの自治体では、これまでの人口推移からの推計値に「計画人口」を上乗せして、様々なまちづくりの取組みを進めることで定住人口を確保・増加できると考えてきました。しかし、この考え方が大きな転換期を迎えたのです。人口が伸び悩むことを受け入れた計画をつくることにしたのです。地域の規模をコンパクトに集約する取組み、地域外からの集客による地域活力の維持に関する取組み、ふるさと納税の地域間競争等、我々の周りでの取組みは、このことに起因しているのです。

 では、これまで我が国の人口は増加しつづけてきたのでしょうか。今回の人口停滞・減少は歴史上、初めての経験なのでしょうか。歴史人口学研究等をもとに、筆者らは我が国の人口の推移とその特徴について研究したことがありました。第1回の投稿では、それをヒントにこれからのまちづくりを考えてみたいと思います。

 図1-1に示すように、これまでの我が国は、長い歴史の中で、4度の人口増加期と3度の人口停滞期を繰り返してきました。そしてその特徴を比較しやすいように対比的に示したものが表1-1です。

 人口が増加している時代は、人口を受け入れるための地域・都市という器が必要となります。また消費者が多いため供給する生産基盤も必要です。順番に人口増加期の代表的な都市を辿ってみると、第1期が首府・国府(飛鳥~平安前期)、第2期が港町・門前町(平安末~南北朝)、第3期が城下町・宿場町(室町末~江戸前期)、そして明治以降では軍都・工都・研究学園都市やニュータウン等です。まさに「地域・都市をつくる時代」でした。

 それに対して、人口停滞期では、新たな器は必要なくなります。そのため、それまでに充実・整備してきた地域・都市という空間を使い勝手のよいように更新してきたのです。今次の人口停滞期においても同様、明治以降~特に戦後の高度成長期の都市装置(インフラ)や都市の制御のためのシステムを、時代に即応した新たなニーズを付加することで、安心・安全かつ効率的・機能的に活用することが求められてくるのです。

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(2)人口停滞期は「文化」を創造するとき

 人口停滞期のもうひとつの特徴は、これまで地域・都市づくりに投入していたパワーが新しい文化の創出へと向かい、後世の人が「これぞ日本文化」と呼ぶ文化を創りだしてきたことです。

 代表的なものが、最初の人口停滞期である平安中後期に創りだされた「ひらがな」や「和歌」、あるいは、大陸文化からもたらされた春の曙から「秋の夕暮れ」への美意識の変化、梅を観る文化から桜を愛でる文化への変化にあるのです。また、室町時代は「幽玄美」と呼ばれる美を発見した時代であり、「能」は日本の代表的文化として今でも生きています。鎌倉時代にはお茶が、最初は薬として輸入されますが、人口減少の時期に、“闘茶”という娯楽に変えてしまい、茶道という「芸術」にまで仕立てていくのです。和風建築の原型である「書院造り」は室町時代に定着し、その後それを洗練させた様式として「数寄屋造り」を生み出しているのです。

 三度目の停滞期の江戸中後期の代表的な例は「旅文化」の創出、現在で言うと観光政策です。八代将軍・吉宗は、江戸城の東・西・南・北の2里(約8km)の場所に花の名所を整備しています。飛鳥山や隅田川沿い(墨堤)、御殿山等、現在でも著名な桜の名所は、この時代に整備されたことが「江戸名所図会」でも確認できます。人口集積地(江戸)からの日帰り圏の観光地整備のみならず、近郊での2泊3日の旅程での旅や、代理講、さらにはお伊勢参り等の「旅文化」へと発展していきます。それらは、江戸前期に整備された街道や宿場町というインフラを活用し、東海道中膝栗毛や各地の名所図会等の出版物によって「旅への憧れ」を創り出したことの相乗効果にもよるものです。さらに、浮世絵やガーデニング、ファーストフードの登場等、様々な分野で文化が開花します。人口停滞時期には、現在でも通じる「まちを楽しむこと」を実践しているのです。そして、これらの文化創造・推進には「女性」が大きく関わっていることも特徴です。

 

 (3)集客・観光がクローズアップされる理由

 決して交通条件が整っているとは言い難い江戸中後期においても「旅への憧れ」に牽引され、旅文化が全国的に展開されました。しかし明治以降の20世紀は、工業化を軸に急速なスピードで近代国家を形成しつづける中で、「自身の生活を豊かにするライフスタイル」を見失っていたのではないでしょうか。

 年間2000万人にも達する勢いで訪日外国人観光客が我が国を訪れています(図1-2参照)。近隣のアジア諸国の経済成長や円安基調等の要因によるところも少なくありません。しかし、これまで「観光地・日本」としてのプロモーション不足もあり、「知られざる国」であったことが大きいのではないでしょうか。観光客が地域にもたらす経済効果は多大であることが公表されています。訪日観光客の誘致は、まさに『見えざる輸出』と称される効果があるのです。

 同じことが国内の地域にも当てはまるのです。近年、都市地域を中心に、著名な観光資源を有していなかった地域が脚光を浴び、観光・集客によって地域経済を支えている地域もみられています。観光行動が成熟化に向かう中で、これまでの自然景勝地や歴史文化の一級観光地での「物見遊山」の観光行動から、これまで脚光を浴びていなかった暮らしぶりや風土、地域の成立ち・履歴、さらには微地形や食等をテーマに集客している地域も少なくありません。観光地でなかった地域は、むしろ新鮮感があり「光」があたってきているのです。「熊谷にはこれっといった観光資源がない」と嘆く必要はない時代となってきているのです。

 さらに、「観光・集客」には様々な力があります。単に経済的効果たけではないのです。地域として「観光・集客」に取組む最初の入口としては、経済的効果がわかりやすいことは確かです。しかし、話題となることで知名度の向上や来訪者との交流が加わることで地域住民にとっての誇り・愛着や生きがい・参加意識といった「社会的効果」も生まれます。さらに地域外からの多くの人々の目に触れることで、地域を美しくしておきたい、関心を寄せてくれているものを大切にしたいといった地域資源を維持・保全する「文化的効果」も生まれてくるでしょう。さらに、経済的・社会的・文化的効果から生み出された様々な力を地域全体で共有・蓄積し、それをさらに次のステップへの昇華させるアクションに活かすといった「経営的効果」へとつなげることも大切となってきます。

 「集客・観光」は、このように、地域活力を維持・向上するための目的であるとともに、地域全体のまちづくりの最終目標でもあるのです。「集客・観光」を通じて、自身の生活を豊かにするライフスタイルの実現を目指そうという深層心理のスイッチが入った地域が、近年、脚光を浴びているのではないでしょうか。

 

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(4)既存ストックを活用したまちづくり

 『愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という格言があります。まちづくりを考えるにあたって、我々は賢者でありたいものです。そのためには、本稿のテーマとした我が国の歩みから学ぶことが大切ではないでしょうか。そしてその極意は、『これまでの人口増加期に創出した既存ストックを活用して地域文化を創り出すこと』にあるのではないでしょうか。

 熊谷市においても、これまでの地域の成立ちや履歴の原点を見失わず、県北の中核都市としての様々な取組みから得られた数々の成果、周辺地域や地域住民の感じている地域イメージ、充実したスポーツ施設やソフト面での取組み、気象条件や豊かな食文化等、地域に顕在化している、あるいは次の出番を待っている潜在的な魅力コンテンツの棚卸をし、様々なテーマによって再編集することからはじめるのがよいと思われます。

 『観光』は、「地域の光を観せること」が語源と言われています。これからの熊谷をリードする『光』となる原石を“再発見”あるいは“創出”する作業こそが、熊谷の活力を創出・維持するための原点です。

 次回は「人の気を惹くまちづくりの極意」についての原理を解説し、熊谷の現状について近づいてみたいと思います。